Interview

インタビュー 嘉数 真理子

嘉数真理子と申します。小児科医で、ジャパンハートの長期ボランティア医師としてカンボジアで活動して、今年(2023年)で7年目になります。専門は小児科の中でも小児がんを専門としております。

ジャパンハートで活動を始めたきっかけ

日本国内では、ずっと小児がんの診療をやってきました。日本国内で8割以上の子どもが助かるようになってきたなという手応えがある中で、カンボジアのような途上国では2割も助からないということを知り、とても衝撃を受けました。自分も何かできないかと探していたところ、ジャパンハートが小児がんの治療活動始めると聞き、すぐ参加したという経緯です。

ボランティア医師を続けている理由

子どものがんを治して、親より子どもが先に死ぬようなことがないようにしたいというのが一番の理由です。もともと私自身も父親をがんで中学生の頃に亡くして、がんを治したいという気持ちで医者になりました。医者になってから、学生時代に会ったがんのお子さんが父と同じ脳腫瘍だったのですが、その子はとても頑張って治療に取り組んでいたのに亡くなってしまいました。一緒に頑張って治療していた親御さんよりも先に亡くなってしまったというのが、すごく悔しかったのです。

適切な治療が受けられなくて助からない子どもたちを助けたい、ということも、ずっと思っていました。だからこそ、ジャパンハートの活動の話を聞いた時、やらないと後悔するなと思いました。
私としては、やりたいことができる環境を与えてもらい、患者さんたちもご家族も信用して任せてくれるので、本当にありがたいなと思っています。ボランティアという感覚ではなく逆に自分1人だとできなかったことを、ジャパンハートのおかげでやらせてもらっているんです。

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カンボジアでの少女との出会い

現在の病院(ジャパンハートこども医療センター)ができる前ですが、当時の活動拠点の近くに住んでいて、診察を受けに来たのがレッカナーです。当時は5歳になるかならないかくらいでしたが、お腹に塊があって、別の病院でがんと言われていました。レッカナーのお姉ちゃんも、同じようにがんで亡くなっていました。たまたま代表の吉岡がこの子を診察し、現在の病院はまだなかったので日本で治療しようと決めて、国立病院機構岡山医療センターに受け入れていただきました。3カ月間、大きい手術と放射線治療を頑張って、カンボジアに戻ってこられたのです。

レッカナーは本当にラッキーでした。出会った時はお腹だけではなく、他の骨や骨の中の骨髄にまでがんが広がっていたのです。でも、抗がん剤がよく効いて、手術でも取りきれる部分は全部切除することができて、その後に残ったところに放射線をしっかり照射してがんを消してもらったので、今はすっかり元気です。カンボジアに帰ってきた後も抗がん剤の治療を続け、再発しないか気をつけて観察していましたが、幸い再発することもなく、抗がん剤の治療も3年前に終わりました。現在は、普通の子と同じように暮らして小学校に通っています。

この子の治療自体は終わっていますが、転移もあった進行がんだったので、再発がないかを今後も気をつけて見ていく必要があります。また、小さい頃に抗がん剤や放射線治療という強い治療を受けることで、後になって背が伸びないなど副作用が出てこないか、腎臓や肝臓などに臓器の問題が出てこないか、治療の影響で逆にがんが出てこないかを含めて、基本的に大人になるまで定期的に経過を追っていきます。

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一番弟子のシーパン医師は日本で研修中

レッカナーが治療を受けた岡山医療センターでちょうど今202210月~20233月)、研修を受けているのが、私の一番弟子とも言えるカンボジア人医師のシーパンです。現在の病院が開院した直後から働いているカンボジア人のドクターで、もう6年目になります。

新卒で現在の病院に入ったので、本当にここで育ってきたようなものです。彼は本当に人柄が良くて、見た目はのび太のようにおっとりとしているのですが、意外とガッツがあります。彼とは200人以上の小児がんの子どもをこの病院で一緒に見てきて、ほとんどの手術は一緒に入っており、簡単な手術に関しては彼がメインでできます。

吉岡先生にも「お前は小児外科に向いている」と言われて、本人も小児外科医を志しています。ただ、これから病院を担っていくドクターになっていくために、日本でもっと研修を積んで、専門的な知識や技術を身につけて帰ってきてもらいたいなと思っています。

シーパンに日本で学んでほしいのは、責任を持って患者さんを診るということと、手術するだけではなく手術後の対応などの、外科医としてプラスアルファの部分です。手術自体は大分できるようになってきたのですが、手術後に重症をケアする必要のある患者さんを責任をもって見ていくことについても学ぶ必要があると思っています。

新病院では、彼がリーダーとしてカンボジア人のドクターをまとめていく形になりますので、リーダーシップも日本で学んできてほしいです。日本人だけで病院を運営していても、持続可能性はありません。カンボジアの子どもたちに継続的に高度な医療を届けていくためにも、彼のような人材が育ち、下の世代に学んだことを伝えていかなければいけないと思っています。

新病院ができることで医療面で期待していること

新病院ができることで、さらなる高度な医療が施せるようになり、治せる病気が増えることに期待しています。
現在の病院で実施できない検査や治療は、まだまだたくさんあります。今は何とか限られた設備で小児がんの子どもの治療をしています。その上で、私たちの病院では対応しきれない高度な医療が必要な病気の場合、CT検査のようなしっかりした検査設備のある別の病院に治療をお願いしてるような現状です。

具体的には、腸、腎臓、膀胱の病気は、造影剤を入れて、透視装置、放射線装置を使った検査が必要なので、現在の病院では対応できません。子どもによくある腸重積も、透視装置や放射線装置を用いて、重なった腸を直す必要があり、対応できていない現状です。新病院には、そういった高度な設備が必要な病気にも対応できるようになることを期待しています。

新病院になると、規模も大きくなり、今までできなかった検査や治療ができるようになるので、緊急対応もできるようになると思います。

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新病院ができることで教育面で期待していること

新病院の場所はプノンペン近郊になるので、医師も集まりやすいはずです。医師の教育に力を入れていかないと持続可能な医療にならないので、教育病院としての役割を新病院が担いたいと思います。

医学生や看護学生など、学生時代からトレーニングとして実習をし、実習後に新病院で働きたいという人は働けるようにする。
若手医師をトレーニングする場としても、トレーニングセンターとして研修を国内でできるようにする。
異なる得意分野を持ったカンボジア国内の他の小児病院とも連携して、交換留学のようなことを行う。
日本でシーパン医師が行っているような留学体制を整えて医療を学ぶ機会も作っていく。

上記のようなことが実施できる教育病院として、新病院を作り上げていきたいと思っています。

医師として創りたい未来

小児科医として、子どもの貧困をなくしたいです。
自分の得意分野が小児がんなので、日本であれば8割助かるのに、カンボジアのような途上国だと2割も助からないというギャップを埋めたいと思っています。

医療の貧困を何とかしたいという思いでこの活動を続けて7年になりますが、初めの1人の時から比べると、今は病院に携わる仲間が増えました。
皆、色々な思いはあると思いますが、患者さんや困っている人を助けたいという思いで医療者になった人が多いのです。だからこそ、本当に純粋な気持ちで医療というものに向き合えています。

カンボジアの医療の貧困を解決するために、新病院が高度な医療技術を提供できる場となること、未来を担う医療者を輩出する教育病院となることに期待しています。

嘉数 真理子

  • 2004年 琉球大学医学部卒業、沖縄県立中部病院にて研修
  • 2009年 静岡県立こども病院、静岡がんセンターにて研修
  • 2011年 沖縄県立南部医療センター・こども医療センター勤務
  • 2017年 ジャパンハート長期ボランティア医師としてカンボジア赴任
  • 2018年 ジャパンハートこども医療センター小児科部長に就任