小児外科医 シーパン
- 2016年 医学部卒業後、ジャパンハートに入職
- 吉岡秀人に外科医として見込まれ、本人の希望もあり、ジャパンハートこども医療センターで小児外科医としての経験を積んでいる
私の名前はシーパンです。
カンボジアにある「ジャパンハートこども医療センター」で小児外科医として働いています。
ジャパンハートで働いてもうすぐ7年になります。
私はカンボジアのシェムリアップ出身です。
シェムリアップには皆さんもきっとご存じのアンコールワット寺院群があります。
私は幼い頃に病気で死にかけたことがあると母から聞きました。
デング熱のようなものだったみたいですが、当時のカンボジアではとても深刻な病気でした。
医師からは「とても難しい状態だ、もう治らない。」と言われていたそうです。
しかし幸運にも私は生き残ったのです。この話を聞いた時に私は自分に誓いました。
「そんな難病を治す医者になるんだ」と。
私は2022年10月から日本へ研修に来ています。来日しておよそ半年(2023年3月)になりますが、日本に来てみてとても驚くことが多く、ワクワクさせられました。
日本に来て最初に、病院の医療システムついて学びました。そして先進的な医療機器にも触れ、ロボット手術や腹腔鏡手術など、カンボジアでは見たことのない先端医療機器を多く見ることができました。また、小児の先天性疾患などの、これもカンボジアでは見たことのない稀な疾患の種類もたくさん学びました。
私が一番大切だと思うことは、より広範囲の患者さんにより良い医療を届けることです。
カンボジアは日本から多くを学ぶ必要があると感じます。
個人の考え方やハードワークはすぐに改善できるものです。
日本の人たちからは、努力を惜しまないこと、高い責任感を持つこと、親切な心を持つこと、などを学びました。
カンボジアは日々発展しています。ジャパンハートがカンボジアで医療を提供する前は、カンボジアはがんを患う多くの子どもたちにとってとても厳しい状況で、治療を受けられる機会が本当に少なかったのです。というのも、以前は小児がんの治療に制限を設けられていたからです。しかしジャパンハートができてからは、患者を治療するだけにとどまらず、私を含め医療スタッフたちの医療知識をも向上させました。カンボジア人の医療者育成により、カンボジア医療の未来もまた改善されていくと感じています。
ジャパンハートこども医療センターは、今ではカンボジア内で非常に有名な病院になりました。それにより、特に小児がんの患者が毎月多く訪れます。しかし、今の病院ではこれ以上患者を受け入れることができません。来院するすべての小児がん患者を受け入れられないことを心苦く思っています。
そこでジャパンハートは、新たにもう一つ大きな病院を作ることにしました。新しい病院を作るとなると多くのことを考える必要があります。医療機器の導入についてもですが、特に大事なのは人的資源を作ることです。小児がんについて詳しいスタッフを増やさなくてはいけません。
私が日本で得たこの経験をカンボジア人スタッフの医療知識の向上につなげられるよう努め、新しい病院を作る手助けになればと思っています。日本での経験をすべて注いで、新病院のための教育に尽力したい。
この私の活動が、未来のカンボジアのより良い医療に繋がることを願っています。
カンボジア出身の医師であるシーパンは、
どのような思いで日本の医療から学んでいるのか。そして、何を学び医療に従事しているのか。
ぜひ動画でシーパン医師の思いをご覧ください。
小児外科医 シーパン