Interview

インタビュー 吉岡 秀人

ジャパンハート創設者の吉岡秀人*と申します。1995年にミャンマーで医療活動を始めたので、今年(2023年)で28年になります。今でも海外と国内を移動しながら、子どもたちの手術を行っています。

  • 「吉」は正確にはツチヨシの「𠮷」

現在の病院を開設した理由

ジャパンハートは、現在ミャンマーとカンボジア、ラオスで医療活動をしています。
これらの国は、5歳以下の子どもたちの死亡率がとても高いんです。
そのような国の子どもたちを医療で助ける、というのが活動のコンセプトです。

当初はミャンマーで活動をはじめ、次にカンボジアに活動地を広げました。
カンボジアで力を入れたのが、治療が難しい子どものがん治療でした。

子どものがんは、先進国では約8割が助かるんですが、
カンボジアでは当時1割ほどしか助からなかったんです。
小児科の専門医がほとんどおらず、専門外の医者が治療を担当している状況でした。

このような状況を見て、小児がんを含む難病の子どもたちを助けていこうと、無償で高度な医療を受けられる今の病院(ジャパンハートこども医療センター)をつくりました。

なぜ新病院の開設を決意したのか

2018年に今の病院をつくって治療を続けた結果、がんと診断された子どもたちの多くが送られてくるようになりました。この病院では、治療を受けた子どもたちの生存率は約5割まで引き上げられました。

それでも、日本での生存率とは3割ほどのギャップがあります。
カンボジアでは、がんと診断された子どもが全員病院に行っているわけじゃないんです。
病院に来ないまま、亡くなってる子どもたちもたくさんいます。
日本では、そんな状況はほとんどありません。
だから、もっと多くの子どもたちを呼んできて治療しないといけないのですが、今の病院はもうキャパオーバーなんです。
だから、どうしても新しい活動拠点を作る必要が出てきました。

新病院を作るのにはもう一つ理由があります。
ミャンマーやラオスなどの他国からの受け入れを実現するためです。

ミャンマーでは軍事クーデターによって病院が停止しています。
大勢の医療者がボイコットして働いていないんです。
医療者が病院にいないということは、医療が正常に機能してない。
せいぜい緊急疾患を手当てするのが限界です。

そういう状態のミャンマーでも、小児がんを発症する子どもたちがいます。
その子どもたちを治療できる病院に運んで、助けないといけない。
ミャンマーであと何年、今の状態が続くかわかりませんから。

吉岡先生の夢

僕自身に夢はないんですよ。目の前の現実をどうクリアしていくかを考え続けてきた人生です。超えないといけない現実があって、それに対して自分があきらめないでやるだけです。

僕は100万人を助けられるかもしれない。
だけど、それは結果の話で、助ける命の数は問題じゃないんですね。
100万人の命を助けたからすごいわけじゃない。

自分の才能を発揮できたか、個性にあったことができたか。それが大切なんですよ。
人は数や大きさに振り回されるけど、人生の本質はそこにない。
だから、自分が見える、自分が必要だと感じること、やらなければいけないと思うことを、全身全霊でやっていくだけです。

吉岡秀人

  • 1965年8月 大阪府吹田市生まれ。大分医科大学(現 大分大学医学部)を卒業後、大阪、神奈川の救急病院で勤務
  • 1995年~1997年 ミャンマーにて医療活動に従事
  • 1997年~2001年 国立病院機構岡山医療センターにて勤務
  • 2003年~現在 再びミャンマーにて医療活動に従事
  • 2004年 国際医療ボランティア団体ジャパンハート設立
  • 2017年 特定非営利活動法人ジャパンハート最高顧問に就任
  • 2021年 「第69回菊池寛賞」受賞