理事・院長 神白麻衣子
- 1999年 医学部卒業後、沖縄県で地域医療に従事
- 2007年 ジャパンハートのボランティア医師としてミャンマー・カンボジアの活動に参加
- 2010年 長崎大学病院熱研内科に所属し、熱帯医学・感染症・呼吸器診療、医学生・研修医教育に従事
- 2011年 ジャパンハート理事に就任
- 2016年 ジャパンハートがカンボジアに設立した病院で長期ボランティア・スタッフ医師として活動
- 2018年 ジャパンハートこども医療センター院長に就任
ジャパンハートこども医療センターで院長をしている神白麻衣子と申します。感染症内科医と総合診療医として日本での経験を積んでからは、カンボジアで働いています。ジャパンハートの副理事長でもあります。
2007年5月にジャパンハートのメンバーとして初めて、ミャンマーで活動を始めました。
その時は長期ボランティアとして、ミャンマーのワッチェ慈善病院で手術、外来診療などをしました。もともと国際協力に関わりたいと思って医師を目指していましたので、日本で8年間働いた後にどこかで国際協力ができないかと探していたところ、たまたまジャパンハートを見つけたのが参加のきっかけです。
最初の参加から、もう15年ほど経ちますね。途中、長崎大学に所属して現地の活動から離れていた時期もありますので、延べで9年ぐらいになります。ここの院長としては6年目(2023年)です。
はじめに知っていただきたいのは、小児がんは比較的治るがんだということです。
きちんと治療をすれば、先進国では80%が助かると言われています。けれども、カンボジアを含む途上国では助かる確率が20%か、それ以下の水準と推測されています。
その原因として大きいのは、貧困で治療まで辿り着けないことです。
ジャパンハートは、カンボジアの医療環境があまり良くないと聞いて、2008年にカンボジアに看護師2名を派遣しました。そこで色々と調査したところ、やはり医療がまったく行き届いていませんでした。医療技術の水準も低かったのですが、医療者不足のための医療サービスの量的な面でも足りなかったのです。そこで2009年に、まずは公立病院を支援する形で、巡回診療と手術活動をジャパンハートが田舎の公立病院に定期的に出向いて行う、という活動を始めました。
2015年まではその活動を続けていたのですが、カンボジアの公立病院に定期的に出向いて行う形だと、活動が断続的になります。そのため、患者さんを長期にわたりフォローすることができない、現地人の医療人材の育成には全く関われないという限界を感じていました。
ジャパンハートが主体となってアジアの医療改善に取り組むためには、ジャパンハート自身が病院を運営する必要がありました。そこで、2016年5月に現在の病院を開院しました。
現在のスタッフはおよそ100名ぐらいです。日本人とカンボジア人の比率はおよそ2対8で、カンボジア人の医療スタッフがずいぶん増えました。医師でいうと、日本人とカンボジア人を合わせて約15名です。その他、看護師約40名、助産師8名、薬剤師2名。日本からの研修生・ボランティアも多数在籍しています(2023年)。
入院患者さんは総合病棟(成人病棟)に約25人、小児病棟に約40人ほどいます。外来は1日に約50〜100名ぐらいです。
当院は手術まで無償で行っているので、お金がなくて他の病院で診察や手術ができない方が多く来られます。例えば、甲状腺が腫れているとか、胸に何か塊があるとか。子どもたちに関しては、小児がん疑いで紹介されてくる患者さんのほかに、咳が止まらない子など、様々な症状の患者さんが来院します。
2016年の開院当時、外来患者数はだいたい年間7,000人くらいでした。それが年々増えて2020年には17,000人まで外来患者が増えました。カンボジアでも新型コロナウイルス感染症の影響を受けて病院まで患者さんが来る数は減りましたが、それでも今も年間17,000人以上の来院があります(2022年度実績)。
現在の病院ができたことで、やはり一番大きいのは小児がんの治療ができるようになったことだと思います。開院当時は設備などが整っておらずに受け入れられませんでしたが、2018年から小児がんの治療を開始しました。
まず、専門医の協力を得て、手術が必要な小児がんの治療を実現しました。初年度は年20人ほどの治療にとどまりましたが、受け入れ数は徐々に増加し、2022年度には113人の患者さんを受け入れる規模になりました(2022年度実績)。小児がんの治療受け入れは、コロナ後もどんどん増えている状態です。
小児がん治療のために設備を整えましたので、小児がん以外の成人のがん手術はもちろん、それ以外の難易度の高い手術や治療も、少しずつ可能になってきています。施設自体の能力が上がってきたのがこの数年間です。
やはりカンボジアでは、絶対的に医療者の数が不足しています。そして医療機器も足りない。医療機器は先進国から寄付や供与の形で入ってくることもあるんですが、それをきちんと使える医療者が少ないために、国全体的に医療技術の水準が高くない状態です。
これには歴史的な背景があります。1970年代のポル・ポト政権時代に多くの医療者や教育者が殺されてしまい、その時にカンボジアの医療は一度、完全に崩壊してしまったのです。それから急ごしらえの医療施設と未熟な医療者を中心に公立病院を運営させたものですから、国民の病院に対する信頼度が低く、それが今も続いている状態です。医療者側も、専門的な訓練を受ける機会が少ないなど課題が多く、それが医療水準の停滞につながっていると思っています。
それを踏まえて、ジャパンハートでは現地医療者の教育に力を入れています。 カンボジアでは、一部の専門医を除き卒後教育が不足しているので、若手の医療者がジャパンハートの病院に勤めて、教育を受けられるようにするということに取り組んでいます。
最初は日本人がカンボジア人に教えることが中心でしたが、カンボジア人の医療者同士で教育できるように努めています。例えば、3年目の医師が2年目に教え、というような屋根瓦式の教育システムを目指してきました。現在は、日本人からの指導割合が減っても、カンボジア人医療者の中で学びが継続する仕組みがだいぶ浸透してきたように思います。
また、教える側にとっても教えることが一番勉強になりますから、積極的にカンボジア人の上級医が後輩に教えるという体制を作ってきました。
こういった教育習慣は日本では当たり前ですが、カンボジアにはあまりないようです。多くの人は常にプロフェッサーから直接指導を受けたいと思っているのですが、知見を若手に共有する文化があまりできていないのです。ですから、この屋根瓦式の文化はぜひ、国内に広げていきたいと考えています。
この教育システムが根づけば、将来的にカンボジアの病院から日本人が去った後も、カンボジアの中で医療者が育つ環境を保つことができます。
たくさんあり過ぎてキリがありませんが、例えば心臓や肺の治療は現在の病院と体制ではなかなかできないのが実情です。透析治療のように高度機器が必要な治療も、ここではできません。ですので、治療ができない患者さんの命を諦めざるを得ないケースが多くあります。
例えば、両方の腎臓に腫瘍がある子どもの患者がいます。日本であれば両方とも手術で取って、その後は透析で命をつないでから移植で助けるという選択肢がありますので、我々も腹膜透析を含めた透析治療が何とかできないか模索しています。
しかし、現状ではこの「両方の腎臓に腫瘍がある子」の完治は、カンボジアでは望めないんです。
その子は進行がゆっくりなので、まだ元気でいますが、助けてはあげられない。これまでたくさん治療してきましたけど、やっぱり完全に命を助けてあげられないっていうのはとても悔しいです。いつかはこのような子たちも救っていきたいと思っています。
そういう意味で、新病院には期待しています。
例えば腹膜透析ができるようになれば、この事例のように助かる子が確実にいます。腎臓がんだけではなく、腎臓が悪くなってしまった子たちを助けられるような施設を整えることができれば良いですね。
心臓とか肺は、子どもの治療は少しハードルが高い面がありますが、腹膜透析に関してはそこまで難しいことではないので、少なくともそういった手が届きそうな治療を早く実現したいですね。
正直たくさんあり過ぎて決められませんが、医療活動をやっててよかったなと思うのは現地スタッフが成長した時です。
2年ぐらい前に新型コロナウイルス感染症の影響を受けて日本人スタッフが少なくなってしまった時に、ある患者さんを手術したのですが、夜に急変してしまい、執刀医が戻ってくるのを待っていたら間に合わないという状態になりました。その時、病院にいたカンボジア人のスタッフが即座に動いて、夜中に緊急手術をしてくれたんです。
通常だったら執刀医が戻るまで手術を始められないんですが、その時のカンボジア人の若手スタッフは「間に合わないから僕たちでお腹を開けます」と言って、麻酔をかけて開腹し、その子の出血を止めたんですよ。最終的にその子は助かって、今では元気になりました。
あの時のカンボジア人の臨機応変に対応した姿を見て、大きく成長したなって思ったんですね。このようにスタッフが育っていることを本当に誇りに思います。
新病院は今の病院よりも規模も大きくなりますので、これまでに育った若手医療者が次の医療者を育てていく屋根瓦式の教育システムで、カンボジアの医療の礎となっていってほしいです。
理事・院長 神白麻衣子